人生100年時代とは誰もが100歳まで生きるということではありません。高齢社会をどのように迎えるべきかという「警句」だと考えています。

これからの高齢社会を担う中心は50代60代
何歳まで生きるか
人生を生きる期間として考えるのであれば、平均寿命が目安になります。平均寿命はその年に生まれた0歳児の平均余命で、2017年(平成29年)の平均寿命(平均余命)は、男性 81.09年、女性 87.26年となっています。50代60代にとっては、これからあと何年生きるかという目安となります。
人生後半戦とは
人生100年時代を100歳まで生きるとすれば、人生の後半戦は50歳から始まります。切りのいい数字ですし中間点としてはわかりやすい年齢ですが、平均寿命から考えると折り返し地点の年齢はもっと若いと考えるべきでしょう。少なくとも50歳には人生後半戦を考えることが必要です。
50代60代という年代
50代60代という年齢幅は20年あります。20歳違うと体力的にも違いますし、考え方も生活環境も違います。しかしながらすでに高齢社会を迎えている現実を考えれば、一番強く意識しなければならないのが50代60代という年代です。考えるだけでなく行動に移すのもこの年代ではないかと思っています。
高齢社会を担う年代
現在の50代60代は現役で働いている人も多く、「日常の生活に支障があり、働くことができず、介護の対象となる高齢者」というイメージとは程遠いと思います。
名実とも高齢者になってからでは、高齢社会を担う中心にはなれません。高齢社会を担うのは高齢者になる前の年代、すなわち50代60代だというのが「新おとな学」での考え方です。
なにを学び、なんのために働き、どのように暮らすか
生きるということ
「生きる」ということは生きていることを「感じる」ことです。どのような時に生きていると感じるでしょうか。なにかに満足した時、生きてて良かったと感じる一方で、苦しい時も裏を返せば生きていることを感じていることになります。「生きるとは感じること」なのです。
なにを学ぶべきか
人間はなにかを感じて学び、また学ぶことでなにかを感じます。生まれてから青年期までは外的な刺激を感じて学ぶことが多いように思います。
年を取るにつれて外的な刺激よりも、自ら学ぶことで内面的な刺激を受け感じることが多くなります。
50代60代で学ぶべきことは内面的な刺激を受ける「なにか」です。
なんのために働くべきか
50代60代になってから改めて「なんのために働くべきか」を自問自答する人は少ないのではないでしょうか。すでに答えを持っている人が多いと思います。
生きるため、生活のため、社会のため、お金のためなどなど答えはあるでしょう。そして少しだけでも自分の楽しみのためという気持ちもあるでしょう。
日本ではお金のためというと卑しい考えだと思われがちですが、現金のために働くのではなく、お金を払ってでも欲しいと思うような価値を生み出すために働いていると言いかえてみてはどうでしょうか。
はっきり「なにかのため」と言える自信を持つことが50代60代には必要です。50代60代は「自分が信じている価値」のために働くのです。
どのように暮らしていくか
50代60代になると、もうひとつ先の年代のことが気になります。老後と呼ばれる年代です。それが70代からなのか80代からなのかは個人差があるでしょうが確実に訪れてきます。
自分が30代40代の時に50代60代の暮らし方を考えていたでしょうか。漠然とした期待があっても具体的な暮らし方をイメージしていた人は少ないと思います。
同じように50代60代になって70代以降の暮らし方をイメージして毎日を送っている人は少ないのではないでしょう。毎日の暮らしに追われるばかりはなく、70代以降の暮らしをイメージしてみてはどうでしょうか。
イメージするだけでなく、両親の介護、コミュニケーションを取ることも可能ですし、ボランティアで老後を送ってる人の生活に触れる方法もあります。
現在の暮らしと老後の暮らしにはギャップがあります。このギャップを知り、高齢社会を冷静に受け止め、毎日の暮らしを変えていくことが50代60代の暮らし方だと思います。
メジャー(主流)とマジョリティ(多数)
生き方のデザイン
50代60代の生き方のデザインは、若い頃よりも選択肢が少なくなっています。選択肢が少なくなる原因は失うものが多いからです。
加齢による体力・脳力・気力の衰え、健康状態の低下によるリスク、社会的な弱者意識の芽生えなどなど、弱気になる原因は多いのです。
デザインする気がない
選択肢が少ないことと同じくらい、生き方のデザインに対する意識も弱くなってきます。生き方のデザインとは自分の夢に向けてのデザインです。
そもそも50代60代になって夢を語ることは年甲斐もなくと思われかねない雰囲気が世の中にはあります。
マジョリティでありたい
マジョリティというのは多数を意味し、少数はマイノリティという言い方をします。またよく知られている主流をメジャー、あまり知られていないことをマイナーという言い方をします。
50代60代になると他者とは違うという気持ちよりも、どこかメジャーでマジョリティでいたいという気持ちがあるのではないでしょうか。
50代60代の生き方
現在の50代60代はマジョリティですがメジャーとは言えません。むしろマイナーなマジョリティだと思います。数が多いことがメジャーでもなく、声が大きいことがメジャーでもないのです。
メジャーなマイノリティが世の中を動かしているという現実を考えれば、高齢社会はマイナー・マジョリティの社会と言えます。50代60代は「マジョリティ=メジャー」という考え方を変える時期だと思います。
50代60代は「変えること・変わること」が必要
マイナー・マジョリティ
これからの高齢社会のマジョリティとなっていく50代60代のほとんどがマイナーです。マジョリティだからと安心するのではなく、マジョリティだから安心できないという考え方に変えることから生き方を考えなければなりません。
変わることを恐れない
考え方を変えること、変わることを恐れるのではなく、変えることで感じる刺激こそが生きている証となるようにしてはどうでしょうか。
例えば65歳定年にこだわらない生き方、65歳年金にこだわらない生き方、医療・介護に頼らない生き方など、これらはすでに一部の人が唱えている生き方でもあります。
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50代60代で生き方を考えるときに、自分らしい生き方を考えているように思えても、実際はメジャー・マジョリティな考え方をしています。
メジャーであること・マジョリティであることは、自分らしいこととは違うことであると考えましょう。
高齢社会では、メジャー・マジョリティが安心・安定を保証されているとは限りません。
メジャー・マジョリティに従うのではなく、生き方は自分でデザインする時代に変わってきているのです。