人生後半戦の新おとな学入門

50代60代のためのニューシニア講座 働き方・暮らし方・生き方・学び方・遊び方


「50代60代の学び」について書き綴っています。なぜ50代60代で学ばなければならないかというと、切りのいい数字だからだけではありません。人口構造上、高齢社会を形成する重要な時期だからです。
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50代60代の位置づけをもう一度確認してみます


人生100年時代の実態は

ここ数年、人生100年時代という言葉がそこかしこで使われていますが実態はどうなのでしょう。平成29 年簡易生命表によると、男性の平均寿命は81.09歳、女性の平均寿命は 87.26歳となり、前年に比べて男性も女性も約0.1年延びています。


50代60代の平均寿命は

50代60代の平均余命(平均寿命)を見ると次のようになります。
人生90年時代といったところでしょうか。 
  • 男性
    • 50歳 平均余命 32.61年 平均寿命 82.61歳
    • 55歳 平均余命 28.08年 平均寿命 83.08歳
    • 60歳 平均余命 23.72年 平均寿命 83.72歳
    • 65歳 平均余命 19.57年 平均寿命 84.57歳
  • 女性
    • 50歳 平均余命 38.29年 平均寿命 88.29歳
    • 55歳 平均余命 33.59年 平均寿命 88.59歳
    • 60歳 平均余命 28.97年 平均寿命 88.97歳
    • 65歳 平均余命 24.43年 平均寿命 89.43歳

人口構造の50代60代の位置は

人口ピラミッドととはもう言えない形状をしていますので「人口構造」としていますが、実態は「高齢社会+中年社会」という歪な形状をしています。この歪さが本格的な高齢社会、中高齢社会への過渡期を表しています。本格的な高齢社会は、2045年頃の頭でっかちな形状をイメージしておくとよいでしょう。

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大学進学者数も減少している

少子化による18歳人口は1992年がピークでその後は減少の一途を辿っています。また大学進学者数も2017年がピークとなっていますが、ほぼ横ばいの状態が続きます。1970年頃の大学進学率は3人に1人、1990年頃には2人に1人という状況でした。社会へ供給する知識が頭打ちになっているとも考えることができます。

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人口構造が変化すると何が不足するのか


人口ピラミッド時代の教育制度

現在の教育制度は人口構造がピラミッド状の時代に作られた制度です。大学までに一般的な知識を身につけたゼネラリストとして机上の教育を中心に行い、社会に出てから企業やそれぞれの組織でスペシャリストとして現場での教育を中心に行うという社会全体の教育制度でした。

新しい知識量の不足する

定年年齢が延長されても定年制度が残る理由は、主に加齢による体力の衰えや健康維持の問題とされていますが、もうひとつ大きな理由は新しい知識を覚える脳力・気力の限界になることもあるのではないでしょうか。人口の減少による生産年齢の人口の減少は社会全体の知識量の減少にも繋がります。

50代60代は過去の経験と知識

現場で経験したことを身につける意欲があるのは40代まで、過去の経験で現場を動かすのが50代以降です。同じように考えると新しい知識を増やそうとするのは40代まで、過去の知識で仕事をしようとするのが50代からとも考えられます。

必ずしも50歳という年齢で分けられることではありませんが、50代60代で新しい仕事をするのが難しくなってきていることを考えるとどこかに境界線があるように思います。

社会全体で新しい知識を

高齢社会は否が応でもやってきます。労働力の不足も発生しています。なぜ50代60代がまだ元気だ、健康だと言われているのに労働力の不足を補うことができないのでしょうか。

体力的な衰えだけではなく、知識力の衰え、知識の質の劣化によるとは考えられないでしょうか。50代から始まるキャリア研修・シニア研修は定年研修となっています。残念ながら知識力を高める研修ではないのです。




高齢社会対策の要となるのが50代60代の学び


50代60代の教育は

誰もが同じ経験と知識を持っていないのと同じように、50代60代の誰もが同じ体力と知識力を持っている訳ではありません。

学校教育では誰もが同じレベルの教育を受け平均的な知識力をつけるという平等教育でした。社会に出てからは業種・職種ごとに専門的な知識力をつけ成果で評価するという公平教育でした。50代60代に必要なのは教育ではなく「学習」です。

教育とは受け身である

50代60代から新しい知識を身につけるスタート地点は、学校での教育や社会に出てから受けた教育よりも個人差が大きくバラバラです。このような状態で同じレベルの教育も専門的な教育を受けることは本来適切ではありません。

本を読めばわかるというような教育にしかならないのです。であれば自分で学ぶしかありません。もしくは自分で師となる人を見つけることです。誰かが教えてくれるという受け身では新しい知識を学ぶことはできないのです。

新しい知識とは何か

新しい知識とは学力をつけることだけでは、学習することが目的になってしまいます。今持っている知識を見直すことも新しい知識をつけるこの一環になります。また新しい知識は自分の好きなことから始めてもかまいません。

大切なことは知識をつける目的を明確にすることです。大きく構えれば社会貢献のためでもよいですし、特定の誰かのためという目的でもよいと思います。自分のための学習は自己満足となってしまいます。

年齢で分けられた高齢社会

「高齢社会」とは誰から見た高齢社会なのでしょうか。生産年齢人口から見た高齢者なのでしょうか。生産年齢人口の中でもかつては新人・中堅・ベテランと分けられ、つい最近まで50代からは退職予備軍として扱われていました。

高齢社会とは過去の人口構造からみて高齢社会なのです。本来では年齢で分けられるのではなく、個人の生産性で分けるほうが理にかなっているのではないでしょうか。




高齢社会の問題はこれからの高齢者自身


個人の生産性を上げるために

生産性には個人の生産性と組織の生産性があります。個人の生産性を上げるためには体力と知識力が必要になります。この場合の「力」は経験もスキルも含め、さらに新しい知識を得る力もあります。

新しい体力を身につけることには限界がありますが、知識力は本人があきらめない限り限界はありません。あきらめないためには、明確な目的が必要なのです。

高齢社会の課題に取り組むのは

介護や医療という現実的に起きる問題については高齢者だけでは解決できませんが、これから生じる高齢社会に取り組むのはこれからの高齢者自身でなければなりません。そのために不可欠なのが新しい知識です。

新しい知識とは、自分にとって新しい知識です。新しい知識を身につけることで変わること、変わることで現在予測している高齢社会とは違った理想的な高齢社会を初めて創ることができると考えています。





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